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闇と鎖と一つの焔

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  • 11/28/14:34

コメント

いろいろ散歩をして・・・

天埜邪鬼さんの全コメを見つけたよ。>前回の文章コミュイベントの

今週発表の人もいたから全コメを先延ばしにしてたんだよな。

で・・・すごいなと思ったのは、コメントだけじゃなくて作品紹介がついてるんだ。
こういう全コメはなんか文章コミュっぽくっていいなとおもった。

俺の文に対する作品紹介が短文で簡潔でそしてかっこよい。
そうそう、これだよ、これ。俺が長々と書いたのは。
うん、3行でまとめられるのか。


感想もなんかいいな。

ちょっとここからダラダラとしたことを書くのでたたむ。


俺の文は今回とにかく情景描写を多くした(ユーグさんの台詞はたったの一言だ)。

俺の好きな小説というのは台詞の掛け合いがせいぜい3往復ぐらいで、間に必ず情景描写が入る。
大抵の小説は台詞の応酬だけが続く場面というのは少ないはずだ。
(もちろん台詞の応酬でスピード感や切迫感、緊張感の高まりを表現することもあるが、あくまで特殊な効果を狙っているのであって、ずっとそういった文章が続くことは少ない)

情景描写した文章は読む人によって受け止め方が違う。
文章を読んだ人が頭の中で世界を構築していく。

そういう行間を楽しむのが漫画にはない文章の楽しみ方だと思っている。
(漫画は視覚的にわかってしまうので、頭の中で場面を構築することが少ない)


だが、文章の中で台詞というのはそういう想像があまり働かない。
極端な例をあげると

彼は「気が進まないが、はじめるとするか・・・」といった。少し哀しげに微笑みながら・・・

という文章があった場合、その微笑がどんなだろう・・・と想像することはあっても、台詞はせいぜいイントネーションや声を想像するぐらいしかない。
あえて言うなら気が進まない理由を想像する程度か?

一度出てきたそのキャラの声が自分の中で確立すると、そういった想像もさらに減っていく。
結果、文章中の単純な台詞というのは、ほとんどの場合ただ受け止めるだけになる。
(台詞の中で別の人の行動を描写している場合などは想像もできるので、例外はある)

ただの台詞から何かしらの想像が生まれるのは、よほどの名台詞だけだ。
なので、俺は台詞の掛け合いだけで出来ている文章を読むのは少々苦手だったりする。


そんな俺の書いた文章なので、この「初雪」というSSの情景描写文を読んだ人が
それぞれの頭の中でそれぞれのユーグさんを作り出して欲しいと思って書いてる。


ここで天埜邪鬼さんの感想がすごいのは・・・俺の文章で色を誉めていること

絵じゃないんだぜ。文章なんだぜ。
それで色使いを誉めるんだ。

俺の書いた文章を読んで、天埜邪鬼さんの頭の中にちゃんと白と黒の世界が作られている・・・。
うん・・・・最高だ。ありがとう。



あと、俺も最後の一人の全コメを・・・次の土日にでも追加しておきます。
淡雪さんを書いたエルヴェさんのだな。
すでに読んでいるんだけど、感想は土曜に。

やばい。3時には寝たい。これから闘技の技を決めないと・・・(二択で悩んでいる)


だけど、これだけは書く。

「けしからん絵を描いた人が、さらにけしからんくなっていたので速攻で右クリックした。」 


以上。
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